金木犀の夜
家を出ると、金木犀の匂いがした。雨が降った後のせいか、その匂いはいつもより強く感じられた。
私は誰かにそれを伝えたくて、コンビニに向かいながら電話をかける。2回目のコール音が鳴り終わる前に、電話が繋がる。「もしもし?」
「はい、どうしました?」
「いま何してる?」
「え?いや、特に何も。これから寝ようかと思ってました」
「はやくない?」
「もう日付変わってますよ」
国道の広い道に出ると、大きなトラックがすぐ横を通り過ぎていく。その風に乗って再びどこからか金木犀の匂いがした。
「外にいるんですか?」
「うん、コンビニ向かってる。着くまでの間、電話に付き合ってよ」
「いいですよ」
「じゃあ、なんか面白いこと喋って」
「ちょっと、無茶振りやめてください」
「いいから、ほら。なんか喋って」
「えー、じゃあ、コンビニで何買うんです?太りますよ」
「うるさい」
「…すいませんでした」
「もういいよ」
「ほんとごめんなさい」
「もういいって」
「…はい、すいません」
「明石くん、絶対悪いと思って謝ってないでしょ」
「思ってますよ」
「全然気持ちこもってないし」
国道を逸れて少し歩くと、闇の中でそこだけ煌々と光を放つコンビニが見えてくる。
「もうそろそろ、着くんじゃないですか」
「いや、まだ」と、言いながらコンビニの前にあるベンチに腰掛ける。もう金木犀の匂いはしなかった。「もう少し話してよ」
わかりました、と言って話し始めた彼の言葉に耳を傾けながら、私は金木犀の匂いがする場所を探して歩き始めた。