金木犀の夜
家を出ると、金木犀の匂いがした。雨が降った後のせいか、その匂いはいつもより強く感じられた。
私は誰かにそれを伝えたくて、コンビニに向かいながら電話をかける。2回目のコール音が鳴り終わる前に、電話が繋がる。「もしもし?」
「はい、どうしました?」
「いま何してる?」
「え?いや、特に何も。これから寝ようかと思ってました」
「はやくない?」
「もう日付変わってますよ」
国道の広い道に出ると、大きなトラックがすぐ横を通り過ぎていく。その風に乗って再びどこからか金木犀の匂いがした。
「外にいるんですか?」
「うん、コンビニ向かってる。着くまでの間、電話に付き合ってよ」
「いいですよ」
「じゃあ、なんか面白いこと喋って」
「ちょっと、無茶振りやめてください」
「いいから、ほら。なんか喋って」
「えー、じゃあ、コンビニで何買うんです?太りますよ」
「うるさい」
「…すいませんでした」
「もういいよ」
「ほんとごめんなさい」
「もういいって」
「…はい、すいません」
「明石くん、絶対悪いと思って謝ってないでしょ」
「思ってますよ」
「全然気持ちこもってないし」
国道を逸れて少し歩くと、闇の中でそこだけ煌々と光を放つコンビニが見えてくる。
「もうそろそろ、着くんじゃないですか」
「いや、まだ」と、言いながらコンビニの前にあるベンチに腰掛ける。もう金木犀の匂いはしなかった。「もう少し話してよ」
わかりました、と言って話し始めた彼の言葉に耳を傾けながら、私は金木犀の匂いがする場所を探して歩き始めた。
文鳥は夢を見る、、、翌日
目を覚ますと、私は鳴き声をあげていた。何かを言われたような気がするけど、思い出せない。狭い鳥かごから見える空を見上げて、私はここで生きていこうと思った。
文鳥は夢を見る
空を飛んでいる夢を見た。
阿呆がこちらを見上げて、何かを叫んでいる。
「文蔵!」
どうやらそれが私の名前のようだった。
私の名を呼び、どこまでも追いかけてくるその男は、鳥の巣のような頭をしていた。
その頭が見えなくなるまで、真っ直ぐ飛んだ。
高く飛ぼうとしたが、抜かれた羽のせいで上手くいかない。
そのうちに私は疲れて、たくさんの木が生えた場所にたどり着いた。
そこには私と同じ姿をした者がたくさんいた。
その中の一匹が私にこう言った。
「おまえはここでは生きていけない」
私は目を瞑って、夢から覚めることにした。
世界の終わり
誰であろうと一度くらい、世界の終わりについて考えたことがあるのではないだろうか。あのピエロがいるバンドのことではなく、文字通りの「世界の終わり」である。
毎年のように世界が滅ぶという予言を聞いている気がするけれど、みんな世界滅亡が大好きなのか。はっきり言おう。僕もそういう話が大好きだ。
予言であるとか、陰謀論的なものを本気で信じているわけではない。でも、そういう話を聞くとワクワクしてしまう。世界が滅ぶというのに不謹慎だ!とか、子供じみた妄想を垂れ流すなこのサイコ野郎とか言われるかもしれないので、あまり表には出さない。
ゾンビ映画が見たくなるのは、そういう欲望が満たされるというのが大きいのかもしれない。僕は車の免許をマニュアルで取った。その理由は、「ゾンビが街に溢れて逃げなきゃいけなくなった時に、マニュアル車でも運転できるように」と言いたかったからだ。言いたかったから、ここで言っておいた。
「世界の終わり」と言っても、人によって頭の中に浮かぶものは違うはずだ。想定されるパターンは大きく分けて二つ、そこに人間が存在するか否か、である。
人間が存在するパターンとは、核戦争によって文明が吹き飛んじゃったけどまだ生存者がいましたみたいなやつとか、パンデミックとか起こったりするゾンビ映画でよくあるやつだ。
人間が存在しないパターンは、ドラえもんが地球破壊爆弾使うとか、人工知能が人類を抹殺するとかだ。よく考えたらこれ両方同じ気がするけど。
要するに、
この二つのパターンの違いというのは、「世界の終わり」をどう定義するか?ということだと思う。
現在の文明が滅べば「世界の終わり」なのか、人類がいなくなれば「世界の終わり」なのか、地球が爆発したら「世界の終わり」なのか。
どこまでを「世界の終わり」と考えるのか、という話かもしれない。
いつだったか、僕が昼間に寝て深夜に目覚めたら、電気をつけて寝たはずなのに部屋が真っ暗になっていた。手元のスマホも電池が切れているみたいで、動いていない。
一瞬、何が起こったんだ、と思ってすぐに気がついた。あ、電気代払ってないから電気止められたんだな、と。
真っ暗闇の中で、電気代の支払い書を探してコンビニに向かった。深夜だったので、車も通っておらず、人の気配も全くしない。
何だか「世界の終わり」が訪れたようだった。
コンビニで電気代を払って、ついでに蝋燭を買った。家に戻ってきて、蝋燭に火をつけて、ぼーっとその火を眺めながら、その時に思った。
もし、世界中の機械という機械がすべて一斉に壊れたら、どうなるんだろう、と。電気が使えなくなって、様々な発電所が制御不能になって大変なことになるのではないか。パソコンやスマホも使えず、通信手段もなくて、政府や警察もうまく機能せず、すぐに混乱が起こるはずだ。車やバイクや電車も使えず移動もままならない。食べ物も流通しなくなるし、手元にあるものはすぐに腐っていくだろう。コンビニやスーパーにあるもので、どれくらい持つのだろうか?その奪い合いが起きて、マッドマックスみたいになってしまうのか。いや、人類だって馬鹿じゃないはずだ、どうにかして復旧させられるんじゃないか。でも、うーん…。世界規模で考えても仕方がない。自分だったらどうするだろう?まずは身近にいる信用できる人を探しに出かけるかなぁ。
そんな益体もないことを考えた。でも、これを物語にできたら面白そうだなと思った。
数日後、友達にこの前こんなこと考えたんだけど、と話をした。すると、その友達が「矢口史靖が来年、そういう映画をやるみたいだよ」と言った。話を聞くと、大学院の入試で矢口史靖の次回作のシナリオに関する問題が出たということだった。
僕は愕然として、まるで「世界の終わり」が訪れたかのように目の前が真っ暗になった。
おとしものと夕暮れの櫛
ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ
『なよたけ拾遺』永井陽子
池袋駅の目の前にあるバス停の横で、櫛を拾った。見るからに安物のそれは、誰にも拾われることなく、ずっと前からそこに存在していたように思われた。
池袋の雑踏に紛れて、西口公園に向かって歩く。彼女はいつものように、長い髪をなびかせて、噴水の前に立っていた。
「遅い、寒い」
「ごめん、寄り道してたら遅れた」
「寄り道って何してたの」
「これ、プレゼント」
そう言って、先ほど拾った櫛を彼女の方に見せると、あさひは「なにそれ」と怪訝そうな顔をした。
「そこで拾った」
明らかに不機嫌そうな顔で、あさひが私の方を睨んでいた。
「いらない?」
「…ゆうひ、この際だから言っておくけど、その辺に落ちてるものを拾って持ってくのやめた方がいいよ」
「なんで」
「だって、一応落し物だよ?それに誰が使ってたか分かんないし、汚いよ」
「別に使うわけでもないし、持っていくものはちゃんと選んでるよ」
私が拾って集めるのは、限りなくゴミに近い落し物と決めている。明らかに持ち主も探していない、落としたというより、捨てたように見えるような、ずっとそこに放置されたままであろうものを集めるのが好きだ。その持ち主がどうしてそれをここに置き去りにしたのか想像を膨らませるのが楽しいのだ。
私はいつも俯いて歩いているせいか、昔からよく落し物を見つけることができた。あさひと仲良くなったのも彼女のヘアピンを拾ったことがきっかけだった。
あさひのヘアピンは高校の裏にある畑に落ちていた。私は人通りの少ない朝早くの時間に、その畑のある裏の道を通って学校に通っていた。
高校3年の春、私はその畑で朝焼けに照らされ、輝いているものを見つけた。それには、桜の飾りがついていて、まだ綺麗なままだった。
このヘアピンをどうしようか迷っていると、後ろから「なにしてるの?」と声をかけられた。
あさひだった。
私はびっくりして、畑に突っ立って何も言えずにいると、あさひは「あっ!」と驚いた声をあげ、近づいて私の手を取った。
「これ、わたしの」
「…えっ?」
「探してたの」
「…あ、うん」
彼女のことは知っていたけれど、喋ったのはその時が初めてだった。あさひは明るい性格で誰とでも仲が良かった。私とは、何もかもが正反対だった。名前も性格も見た目も。
でも、私たちはどこか根底の部分が似ていて、すぐに仲良くなれた。まるで、正反対でもどこか似ている夕焼けと朝焼けのように。
お互いに志望校が同じだったことも大きかった。地元を出て、一緒に立教大学に入学してからは、私たちはどこへ行くにも一緒だった。
今日でテストが終わり、明日からは春休みに入ろうとしていた。
「ねえ、ここ寒いし、どっか暖かいとこ行こうよ」
「暖かいとこってどこ。喫茶店?」
「日が当たるとこ」
「この辺にそんな場所ないでしょ、ビルに囲まれてるんだから」
もう日は傾き始め、ビルに囲まれた西口公園からは太陽はどこにも見えなかった。
「じゃあ、付いてきてよ」
そう言って彼女は駅に向かって歩き始め、私は渋々それに続いた。
池袋駅の雑踏を抜け、あさひは西武池袋線の改札も抜けていった。
「ちょっと、どこ行くの?」
「だから、日が当たるとこだってば」
西武池袋線のホームは電車を待つ人々で溢れていた。あさひはその人々の間を縫って、ホームの1番奥までたどり着くと、「ほら」と線路が続く方向を指差した。
そこには、燃えるような夕陽が世界を埋め尽くしていた。
「ここは夕陽が綺麗に見えるんだよ」
そう言って、あさひは嬉しそうに笑っていた。私は陽射しが眩しくなって俯いていると、あさひが「さっきのプレゼント、ちょっと貸して」と言ってきた。
私はコートのポケットから、櫛を取り出してあさひに手渡すと、彼女は夕陽に向かって半透明の櫛をかざした。
夕暮れに滲んで輪郭がぼやけ、彼女が世界と一つになったように見えた。「まるで、世界中が夕焼けみたい」と彼女が小さく呟いたような気がした。
私はこの櫛はやっぱり元の場所に戻しておこうと決めた。
おそうじとおとしもの
道を歩いていて、落し物を拾ったことが今まで一度もない。もしかしたら、忘れているだけで、拾ったことあるのかもしれないが、全く記憶にない。
だから、落し物を拾ってみたいという謎の欲望がある。落し物を拾うことで何かが起きそうな気がするのは、僕の考えすぎだろうか。
道を歩きながら、意識して道に何か落ちていないか探してみても、なかなか見つからない。落し物どころか、ゴミや落ち葉すらもほとんどない。誰かが掃除してくれているはずだけど、普段それを意識することはない。
昔、友人が道端にポイ捨てをしているのを見て「ポイ捨てすんなよ」と軽く注意したら、「ポイ捨てをするのは、ボランティアで掃除をしているおじいちゃんに仕事をあげてるんだよ」と言われた。
「いや、おまえがポイ捨てをやめれば、おじいちゃんの仕事が減るだろ」
「おじいちゃんは、好きでやってるんだから良いんだよ。それがおじいちゃんの生き甲斐だから」
お前におじいちゃんの何がわかるんだ、とは思ったけど、それで世の中のバランスが成り立っているような気もしたので、それ以上は何も言わなかった。
確かに、道はいつも綺麗だし、ボランティアで掃除をしているおじいちゃんもたまに見かける。
道に何も落ちていないのは、どこかのおじいちゃんが掃除をしているからで、僕以外の誰かが落し物を拾っているからなのだろうか。
僕はよく物を落とす。どれくらい頻繁に落とすかというと、落し物を探しに戻って、無事に見つけたと思ったら、そこでまた別のものを落とすくらいの頻度だ。最高で3回それを繰り返したことがある。そんなことがあってから、なるべく物を持たないで外出するようにしている。
でも、有難いことに落としたものは、ほとんど手元に戻ってきている。世の中が親切な人ばかりで良かったと思う。
それでも、流石に茶封筒に入れた五万円だけは、手元に戻ってこなかった。その五万円はバイト先の先輩から原付を譲って貰うために用意したものだった。
あの五万円は何に使われたのだろうか。五万円があれば、結構何でも買えるし、それなりに豪遊できるんじゃなかろうか。パチンコ屋の前あたりで落としたような気がするので、恐らくパチンコに使われただろうが、せめて有意義な使われ方をされたことを祈るばかりだ。
古典落語の演目に「芝浜」というものがある。「芝浜」のように、あの五万円を拾った人が「また夢になるといけねえ」と言ってくれていたら、なんて思う。